フジ子・ヘミングの演奏に難癖を付けるプロに危機感を抱くの巻き
フジ子・ヘミングさん。
60代で奇蹟のデビューを果たしたピアノ演奏家ですね。
が、しかし。
このフジ子・ヘミングさんの演奏は、
プロの間では、酷評だそーです。
たとえばこちらですね。
ふむふむ。
さすが専門的なご見解。
要約しながらポイントを引用してみましょう。
・フジ子・ヘミングの演奏スタイルは、現代の基準から外れている
・フジ子・ヘミングの演奏は、60年代以前の古いタイプ。
・フジ子・ヘミングの演奏は、意識が右手に集中しっぱなし。
現代では、これは「断じて許せない」演奏。
・また現代では「多少曖昧」というのは「あってはならないこと」。
・現代のピアノ演奏は「上手い」演奏が当たり前。
・60年代以前の古い演奏は、現代では「許せない」演奏。
・にも関わらず、フジ子・ヘミングのCDは百万単位で売れている。
・フジ子・ヘミングのリサイタルも大人気。
・フジ子・ヘミングへの猛烈な嫉妬心が、プロの間では起きている。
おもしろいですね^^;
で、いろいろと言われていますが、
結局、クラシック音楽は、衰退音楽なんですよね。
で、そんな「演奏の仕方がどーのこーの」とかは、
一般世間の人には関係ないんですね。
てか、わからない^^;
なので、フジ子・ヘミングさんの生き様、人生を踏まえて、
それで感動するというのでいいんですよ。
で、この前も書きましたが、クラシック音楽って、
もはや絶命機種の、時代から取り残された化石文化なんですね。
なのでユジャ・ワンのように、キャバクラファッションで、
お色気ムンムンで、聴衆をつかむエロ路線も出てくるんですね。
あるいはキャメロン・カーペンターのように、
モヒカン刈のハードロッカー姿が、聴衆を惹きつけるわけです。
その掟破りなワイルド感が売りなんですね。
ちなみに、キャメロン・カーペンターは、演奏ミスが多い。
でもウケています。
Bach Cello Suite No.1 Prelude - Cameron Carpenter (organ)
結局、演奏以外の「小技」がありませんと、今は売れないんです。
コンサートにも動員できないんです。
その「小技」が、
キャバクラ仕様なのか、
エロエロ仕様なのか、
ハードロッカー仕様なのか、
それは演奏者次第です。
フジ子・ヘミングさんも同じですね。
演奏云々など、ほとんどの人にはわかりません。
演奏上の技巧に関しては、別段、どうでもいいんですよ。
その人のキャラやファッション、生き様が、
聴衆に感動なり興味をおぼえさせて惹きつけるのが、
今のクラシック音楽なんです。
これを無視すれば、骨董品産物の化石な音楽に成り下がるだけです。
そもそも古典派やロマン派の音楽は、
音楽自体に問題がありますからね。
感性ではなく、ルールで作った観念的な音楽が
半分以上含まれているんですね。
これを「駄作」と言わずして、なんと言ってよいのやら^^;
って過激なことを言いますけどね。
自然に「いいなあ」と感じられる感性から、大きく逸脱しているのが
クラシック音楽の定番である「様式」というものなんです。
学校では教えませんよ。
権威が喪失しますからね。
フジ子・ヘミングさんが何故、ウケているのか。
ここをよーく洞察しないとならんわけですね。
そんなピアノ演奏のマニアックな技巧など、
ほとんど多くの人は感心がありません。
骨董品の品定めに、「すごいね」と思っても、
興味関心が無いのと同じです。
フジ子・ヘミングさんに嫉妬の炎を燃やして、
あーたらこーたらと言っても、お門違い。
てか、ますますクラシック音楽を、
時代錯誤な用無し音楽にしてしまうだけです。
って、手厳しい意見ですけどね^^;
普通、そんな昔の化石に興味を持たないんですよ(´・ω・`)
だから、届ける側は、興味を持っていただけるような
工夫とか、スパイスが必要なんですね。
このことはクラシック音楽に限りません。
古典でもそう。
大衆からそっぽ向かれたら終わり。
これをキモに命じることが大事じゃないかと思いますね。