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フジ子・ヘミング「月の光」〜神のリズムと霊性の輝きを宿した感動のピアノ

「月の光」で検索していたところ、
たまたま見つけたフジ子・ヘミングさんの演奏。

出だしの演奏を聴いたところ、ハっとします。
すごい。

フジ子・ヘミング〜月の光


これです。
何度も聞いてしまいます。
惹きつけられます。

で、癒やされる。

なんだろう、このすごさは。
惹きつける引力といいますか。


フジ子・ヘミングさん、御年86才。
名前は知っていましたが、詳しいことは知りませんでした。
「遅咲きのピアニスト」として、NHKが持ち上げたのかなあ、
くらいにしか思っていませんでした。

しかし、フジ子さんの「月の光」を聞いて、驚きましたね。

フジ子さんが弾く「月の光」は、音が「ポツンポツン」と
したたり落ちるかのように奏でられています。

そのしたたり方は、まるで月の雫(しずく)のよう。
可憐で、美しく、やわらかい。
神がこぼしたかのような「月の光の雫(しずく)」。


いろんな方の「月の光」を聞いてきましたが、
フジ子・ヘミングさんの「月の光」は格別。
神々しい光を放っています。

すごい。
なんだ、これ?

こんなに丁寧で、やわらかく、神々しい演奏は初めてですね。
音と、音との間合い。
一音一音が、こぼれるような、転がるような響き。

自称「月の光」フリークとしては、こんな演奏は初めて聞きます。
ピアンの技術を上回る何かがある。

フジ子・ヘミングさんの演奏は格別。
ヘビロテです。



この音の背後には、フジ子・ヘミングさんの生き様がありますね。
ええ。
間違いない。

フジ子さんは、苦労されてきたんじゃないんでしょうか。
その思いやらが昇華されて、音の響きとなって表れている。

苦しみ、悩み、つらさ。
それらを昇華して、高貴さと祝福のエッセンスに変容している。


生き様。
それは、その人のオーラに如実に表れます。
雄弁に物語ります。

誤魔化しはききません。
見る人が見れば、一発で見抜きます。

霊性を感じ、霊性に向かっていこうとする人は、
その魂に、輝き、高貴、善性、謙遜、愛、尊厳、神秘といった徳を宿し、
その香りを放つようになります。

「慈しみの心」は、まさに霊性の心。
霊性とは、ハートであり、慈しみむ心でもあったりします。


フジ子・ヘミングさんの「月の光」には、霊性の輝きがあります。
ハートがある。

神を信じ、神を思いながら演奏されているのではないでしょうか。

どこか神々しい。
徳の光を放っている。



フジ子・ヘミングさんのことが気になったので、
調べてみると、やはり、そのようですね。
ビンゴ。

フジ子・ヘミングの信仰: 眠られぬ夜のために
http://nikkou.cocolog-nifty.com/
フジコ・ヘミングのピアノは、なぜ人々の心をとらえるのか
http://www.u-canshop.jp/fuzjko/sp/

wikiもあります。
これらをまとめて見てみますと、
もう、並々ならぬご苦労をされています。
楽家にとって命である「耳」も不自由のようです。

フジ子・ヘミングさんは、大東亜戦争前の1932年、ドイツで誕生。
父親は、建築家のスウェーデン人。
母親は、ピアニストの日本人。

そんな国際的な家庭に生まれ育ったフジ子・ヘミングさん。
幼少期に日本に移住。

しかし、父親は日本に馴染めず、一人スウェーデンに帰ってしまったと。
両親は離婚。
なんとまあ。

古い因習が残る戦前の時代に離婚。
女手一つで育てあげる。
大変です。
経済的にも、慣習的にも大変。
フジ子さんもなることながら、お母さんのご苦労は並大抵でなかったはずです。


それからは、母親と一緒に東京で生活。
で、幼少の頃から、母親からピアノのレッスン。
しかしそれはスパルタ式で大変厳しかったと。
おおぉ。。

が、その甲斐あってか、東京藝術大学へ進学。
各コンクールで受賞。
華々しいピアニスト人生をスタート。


ところがなんと、1961年の29才のときに、国籍が無かったことが判明。
なんと。

父親の国籍であるスウェーデン国籍があったはずなのが、実際は無かった。
で、フジ子さんは、「難民」に。

難民となったフジ子さんは、やむを得ずドイツへ移民として入り込みます。
しかし難民生活は大変。
極貧。
食べるにも苦労。


が、1967年の35才のときにチャンス到来。
なんとレナード・バーンスタインに認められ、ピアニストとして登用。

しかし皮肉なことに、コンサート直前に耳が聞こえなくなってしまったと。
おおぉ。

さらに、追い打ちをかけるかのように、恋人の裏切り。
失恋。

母親との確執。
ドイツでの極貧生活。

孤独。
難民生活。

「これでもか」という位に試練が続いたといいます。

しかし、そういう「どん底」にあっても、
ピアノへの情熱だけは失うことは無かったと。

29才から続く不運、不幸。
不遇。


ところが1999年に転機が訪れます。
フジ子・ヘミングさん、67才の年。

NHK・ETV特集「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」が放送されたところ、
これがきっかけで一気にブレイク。

この放送がセンセーショナルを巻き起こし、
フジ子さんは一夜にしてスターになります。

ふじこヘミング 1


ふじこヘミング 2


29才から67才までの間は不遇、不幸、不運。
苦節40年。

67才という、遅咲きも遅咲きのピアニスト。
それが、フジ子・ヘミングさん。




それにしても人は、40年もの間、苦労が続き、冴えない生活をしていますと、
酒に走ったりするなど自暴自棄になったり、人生を投げ捨てて、
退廃的になったりするものです。
大概そうです。

ところがフジ子・ヘミングさんは違います。
すさまじい苦労の中でも、ピアノへの情熱を失わず、
「神」を信じるようになったといいます。
キリスト教への開眼です。

これらがフジ子さんの支えになったようです。
ピアノと神への信仰。


有名になった今でも、ピアノを弾くときは
「イエス様、イエス様と祈りながら弾いている」と。

また、「有名になったかどうかは関係がない。
自分の音楽をだれかが聴いて喜んでくれるからうれしい」
とも。

「お金は、寄付をしてしまう。自分は古着を着ていればいい。
天国に貯金したほうがいい」
とも。


ああ、やっぱり。
神に祈り、愛と平和と感謝と利他の心があります。
それがピアノの音となって表れています。

フジ子・ヘミングさんにとって、苦労が成長の糧になっています。
魂を輝かせることにつながっている。
スポイルしていない。


フジ子・ヘミングさんの生き様は、そのピアノの音にハッキリと出ていますね。
音のオーラとなって表れている。

神の光と、愛と感謝の霊性に満ちている。
輝いています。

それは聞く者の意識に差し込んできます。
神のリズムを奏でている。


フジ子・ヘミングさん、霊性の輝きを放つ、希有のピアノストですね。
驚きました。

と同時に、納得。
ピアノの音に豊かな徳の響きを感じたので、
「何だろう」と思ったのですが、やはりそうであったと。
フジ子さんのピアノには神が宿っている。

それにしても、なんとも言えない魂の揺さぶり。
久しぶりに深く感動したものです。
泣けた(T-T)。