江戸時代では「不倫」は死罪であり相手の殺害も許されていた
なんと!
江戸時代は、不倫をしたら死罪だったのですかあ。
それは知りませんでした。
ふむふむ。
しかも、不倫した妻とその相手を
殺害することも許されていたといいます!
ごいすー^^;
私刑ですね。
私刑。
さすが昔は「仇討ち(あだうち)」が認められていた時代だけはあります。
不倫したら死罪とか、相手を殺害するのもOKというのは、
まさに「仇討ち」の精神が根底にあったからですね。
当事者にしてみれば、私刑によって制裁を加えたい気持ちにもなるでしょう。
そのお気持ちはわかります。
が!業報輪廻の観点からすれば、仇討ちして殺害するのは、
本質的には解決になりませんからね。
生まれ変わって、今度は、殺される側になってしまう。
で、これを延々と続けてしまう。
殺す、殺されるのゲームを、何度生まれ変わっても続けてします。
憎しみ、怨恨の連鎖。
これは賢くないですからね。
愚かしい生き方です。
業報輪廻の観点からすれば、できれば流してスルーにして、
何事も無かったことにしたほうがいいですね。
「許せない!」「悔しい!」という悔恨の念は、
業となって、その人自身を苦しめる性質があります。
だから、
「念(サティ)」によって、一つのことを思い続け、念じ続けて、
他のことを思わないにし続ける。
「智慧」によって気づき続けて、
業や感情をスルーするようにする。
「定(サマディ)」によって、高次元の状態になって、
悪心が生じないようにし続ける。
そういった対処が望ましくなりますね。
で、「本当の自分」を知る智慧が鮮烈に生じて、
自己の破壊が起きて、宇宙意識に啓(ひら)かれるならば、
悔恨や苦悩といった重たい心からの離脱も、
よりやりやすくなると思います。
悟りが何故、必要なのか。
それは「心を軽くさせる」から。
「真の心の解放」と言っていいでしょう。
だから、悟りがおすすめ。
悟りを得るためには、まず
1.悟りに興味を持つこと、悟りたいと熱望すること
2.悟りに関する情報に触れること。
本を読む、話しを聞く、覚者に会う、悟りを思惟する。
この2つが基本になりますね。
で、これに加えて、
・自己観察をする
・慈悲の実践をする
・瞑想をする
・ヨーガなどのボディワークをする
などなど、各種の実習をしていくことですね。
って、江戸時代の不倫の仇討ちの話しから、
こっちの話しになりましたが^^;
悟りは、心を軽くする究極ということですね。