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日本の神さまと日本の仏教

さて久しぶりに神さまのお話でも。


神界の神さまと、仏教の人達とは仲が悪く、
大東亜戦争前までは、争っていたようです。

幕末、明治の幽冥界談話を読むと、確かに争っています。
「今日(けふ)は、西国の仏仙人を蹴散らしてきた」とかあります。

で、実際、幕末から明治にかけて、日本の仏教界の人達を成敗したらしく、
それがそのまま、明治になって神仏分離令廃仏毀釈となったようです。

ウソのようなホントウの話し。


やっぱり日本の仏教は、本来の仏教とは違う仏教ですからね。
ええ。
全然、違います。
きよらかさもありませんし、知識や観念が強すぎます。
これじゃあ、「穢れ」と言われても仕方ありません。

しかも日本の仏教は、悪業がすさまじすぎます。
この点からいっても、「穢れ」すぎています。

中世の日本の仏教寺院は、武器を製造し販売し、
高利貸しも行って、治外法権の分国状態でしたからね。
もうやりたい放題。
悪徳がすさまじい^^;
お話しになりません。
擁護できないでしょう。

しかし神道も、いかがわしかった^^;
吉田神道」といういかがわしい霊感商法の走りもありましたからね。
また中世の頃は、神社の中にも荒んだところもありました。
ま、日本の仏教のほうが酷かったのは確かです。


あと、日本の仏教では、命を粗末にし(否定し)、
社会、家族、男女のむつじさ、生殖行為を否定する解釈が横行していたものです。
これを信じている人も多かったため、
日本の神々は怒っていらっしゃったようです。

結局、日本の仏教は、「観念(頭で理解)」だったんですね。
「穢れ」の宗教。

本来の仏教は、「本当に清らか」であったわけですね。
だからブッダ在世当時は、神々が集い、守護し、愛されていたんですね。
日本の仏教とは、真逆。
雲泥の差です。


日本の仏教は、頭で理解した「穢れた仏教」であったため、
また、禅のようにハートを失った「動物化」であったため、
日本の神々は嫌悪していたんだと思います。

こういうこともあって、幕末に機運を感じて、いろんな人に、
幽冥界情報を授けたんじゃないかと思います。

実際、そういったいことを述べていますね。


River Land/中村幸代



それにしても、私は神界系なんだなあ、と^^;
今になって気づいた次第です。

思い返してみれば、昔から日本の仏教が嫌い^^;
お寺が苦手。
好きになれない。
このことは、以前からブログにも書いていました(笑)。

ただ仏教には「解脱」「悟り」のことがありますので、
それに興味を持っていたわけですね。

しかし生きること(命)を否定したかのような表現や、
社会、家族、生殖行為を否定することには、
昔っから違和感がありました。

てか「おかしい」「変」って感じていたものです。
「おかしい」と感じながらも、「そうかもしれない」という
二律背反する気持ちで、いつもせめぎあっていたものです。

が、結局、生きること(命)を否定したり、
社会、家族、生殖行為を否定するのは、
そもそもとして日本には合わない。
てか、ふさわしくない。
そこまで否定する必要はない。
「絶対におかしい」って感じになります。

それと、仏教の持つ、あの暗く、重たく、よどんだ雰囲気。
なにこれ?って感じ。

今でもそうです。
お寺もそうですが、仏教に関わっている人達が暗い。
禅など、本格的になればなるほどおかしい。

で、いろんなことがわかってきた今のほうが、
より強く感じるようになったと思います^^;


感じていたのは「穢れ」だったわけですね。
穢れ。

穢れはいけませんね。
さわやかであることですね^^

で、天人や神々が、日本お仏教を嫌悪するのは納得です。
私も、そう感じていますので^^;