ゆるぼさラウンジ

お気楽ごくらくラウンジ

輪廻転生・再考

今日は温かかったですね。
汗ばむくらいです。

そんな今日で、なんかポカポカして、
ボーっとしがちな一日でした。

で、そんな今日ですが、そうそう、昨日レビューした書籍ですが、
トークですと、大雑把になってしまいますね^^;
ちょっと正確性に欠けていました(笑)
細かいところで、ちょっと違っていましたね^^;
でも、大筋はトークの通りとなります。

で、今日言った清田くんのハイヤーセルフでもあり宇宙人は
「ゼネフ」さんでした^^;

「ゼブラ」さんではありませんでした。
失礼しました^^;

ブログと違って、ライブでは、その時に気づかないと
訂正ができない場合がありますね^^;



そんなこともありますが、最近、輪廻転生の見直しが多くなっています。
ブログにも断片的に書いていますけどね。

結局、パーリ仏典に伝えられている輪廻転生は、
実際とは少し違うのかもしれません。

といいますか、伝承の過程において、言葉足らず、表現の稚拙さが
あったんじゃないかと思います。
おそらく。


そもそもお経は、最初は「ガータ(詩)」で暗誦されていたものです。
ええ。

暗記で伝承されていたんですね。
で、暗記しやすいように、「詩」の形にしていたわけなんです。

これをわかりやすく言いますと、歴史の年号を憶えるための
語呂合わせみたいなものですね。

大化の改新 蒸し殺し(645年)
・泣くよ(794年)坊さん、平安遷都
・いい国(1192年)作ろう鎌倉幕府

といった感じで、リズムと語呂の良さのある「詩」にして、
ブッダの教法でまとめていたわけなんですね。
まさに試験のあんちょこのような感じです。

で、この「詩」「あんちょこ」が、後に文章化されるわけです。
詩・あんちょこを元にして、文章としてのお経が作られるわけですね。

てことは、文章になったとしても、本来の意味を失っている所が
結構あるわけですね。


なのでパーリ仏典といえども、言葉足らず、表現の足りなさなどが
あるのは当たり前になると思います。

で、パーリ仏典にある輪廻転生もそうです。
ちなみに、パーリ仏典の役1/3が輪廻転生に関する話しです。

これだけ多くの輪廻転生話しがありながらも、
どこまでブッダの言葉を再現しているのか。
微妙なところがあると思います。

鵜呑みにはできないわけですね。
ええ。

少なくとも、言葉足らず、表現の足りなさはあると思います。


その点、近代スピリチュアルで言われている「あの世」情報のほうが
適切じゃないかと思います。

昔はスルーしていましたが、今は、近代スピリチュアルで説かれている
「あの世」話しのほうが信憑性があるように思えてきています。

・池川明先生の胎内記憶や前世の記憶
・江戸幕末の「あの世」文献
・モーゼスやシルバーバーチの霊的メッセージ
などなど。

こうした近代スピリチュアルからもたらされる「あの世」情報に、
リアルな輪廻転生などについても言及されている感じも受けています。

なんか最近、そんな感じを受けています。
しばらく検証が必要だと思いますが、そんな感じになってきています。


で、今、なんか大きな節目に来ているのかもしれません。
今までのことを振り返ると、15〜20年くらいで大きく変わっています。

悟り体験、創造主的なポジティブシンキング(一体化)、テーラワーダ
といった具合に、基盤・ベースが15〜20年くらいで変わっています。

事実、あと2年後に、ダシャーが大きく変わります。
ダシャーの変わり目も重なっています。

で、ここのところ既に変化を感じています。
もしかするとそういった変化の兆しが、既に起きているのかもしれません。
はっきりとはわかりませんけど。

一体、どうなっていくのか^^;
ガラリと変わりそうな感触もなきにしもあらずで、
今までとまったく新しい展開にもなりそうで、ちょっと不安気でもあります。
果たしてどうなることやら。

ちょっとドキドキです。