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はじめの一歩〜「慈悲」「愛」「ハート」

瞑想に興味を持つ方は多いですね。
瞑想がうまくゆきたい。
高次元につながりたい。
スピリチュアルの深遠を知りたい。
スピ的な能力を身につけたい、高めたい。
などなど。

で、結論を言っていまいますと、
これらすべての源になるのは、「慈悲」「愛」「ハート」です。

「慈悲」「愛」「ハート」。
これが大切。

「慈悲」「愛」「ハート」がそなわってくれば、
瞑想も自然にできるようになりますし、
高次元の世界にも開けていくようになります。
またチャクラとかもそうです。


「慈悲」「愛」「ハート」。
人に対する「やさしさ」「親切さ」「奉仕」などですね。
これの本当の意味がわかり、本当の意味でできるようになると、
瞑想にしろ、高次元にしろ、特異能力にしろ、開けていくようになります。

生命は、「慈悲」「愛」「ハート」が強ければ強いほど、
高次元の能力が備わるようになっているんですね。

なので、瞑想や、高次元のことや、能力を開発を望むならば、
「慈悲」「愛」「ハート」。

これです。
この実践。
これをまず実践していきます。


僭越ながら、私は10代のときから、これ一本でした。
「慈悲」「愛」「ハート」をいかにして身につけるか。
それを別の言い方では「徳を積む」といいます。
あるいは「善行」。
生命エネルギーを与し続けることですね。
本質は、「慈悲」「愛」「ハート」。

これがテーマで、ずっと追求し、
自分にムチを打ってでも頑張ったものでした。

幸いにして20才の初めに覚醒体験がありました。
今、思うと、「慈悲」「愛」「ハート」がベースになっていたんじゃないかと思います。

その後、20代、30代もそうです。
「慈悲」「愛」「ハート」。
ずっとこれです。
いかにして、自分を利他の器にできるか。
それだけを追求してきたといっても過言ではありません。


では、利他の器になったのか。
それは自分では言えませんが、
昔に比べればはるかに器が出来てきていると思います。

で、これは今も基本的には変わりがありません。
やり方や、取り組み方は異なりますが、姿勢は変わりません。
同じ。
「慈悲」「愛」「ハート」をいかに深めていくか。
より身につけていくか。
より開かれていくか。

なぜなら、体験的に、「慈悲」「愛」「ハート」の重要性が
わかっているからなんですね。


本当に大切。
ものすごく大切。
何よりも大切。

「慈悲」「愛」「ハート」がありませんと、冷たく感じられます。
ええ。
危うさも感じられます。

本当に人として大切なのは、「慈悲」「愛」「ハート」。

智慧も、洞察力も、「慈悲」「愛」「ハート」とともに成長していきます。

だからキリスト教では「隣人愛」をもっとも重視しているんだと思います。
大乗仏教では「慈悲」ですね。

「慈悲」「愛」「ハート」。
これは本当に大事なエッセンスだったりします。



そうそう、幕末に登場した三大宗教、
黒住教天理教金光教
この3宗教の教祖は、全員、同情心が篤かったり、親孝行。
「慈悲」「愛」「ハート」の深い方々だったようです。

神さまは、やはり「慈悲」「愛」「ハート」をもっとも好まれるんだと思います。

ブッダの過去世の「慈悲の瞑想」もそうですからね。
パワフル。
魂の境涯を高めます。

本当の悟りもまた、「慈悲」「愛」「ハート」をベースにします。


何を置いても「慈悲」「愛」「ハート」なんですね。
結局、ここに帰着します。

魂を磨きたい、成長させたい、
スピリチュアル的なものを身につけたい、深めたい
という願いがあるならば、まずは「慈悲」「愛」「ハート」の実践ですね。

言葉、思い、行動。
この3つを、「慈悲」「愛」「ハート」のある行為にしていくことから始まります。

「慈悲」「愛」「ハート」がそなわってくると、
瞑想は自然にできるよういなります。

逆にいえば、瞑想ができないのは、
「慈悲」「愛」「ハート」が弱い、足りない、充分に身についていない
ということになります。

「慈悲」「愛」「ハート」は、見た目のやさしさとはまた違うところがあります。
この本質をつかむこともまた課題になってくるとおもいます。



ただし、いきなり「慈悲」「愛」「ハート」が難しいと思う場合は、
他からの切り口もあります。

けれども「慈悲」「愛」「ハート」は大切だということだけは
頭の片隅に入れていただきたいですね。
本当に大事なエッセンスになりますので。