ゆるぼさラウンジ

お気楽ごくらくラウンジ

江戸時代の「あの世」文献に感じる違和感

宇宙人の話しの中には、恐ろしいものもあります。
グレイとか、レプテリィアンとか。

ま、わたしゃ、この手の話しは、まったくといっていいほど信じていません。

てか、不安を煽ったり、恐ろしさをアピールするのは、
どうなんだろうかと思います。

で、江戸時代の文献もそうなんですね。

よくよく見ていくと、江戸時代の異境の文献も、
仏教を目の敵にして「地獄へ行く」とか言っています。
脅し、不安の要素が結構あります。


実際の文献を紹介してみましょう。





ご覧の通りです。
これは「友清歓真(ともきよ よしさね)全集 第4巻」に
収録されている島田幸安の幽界真説です。



藤原阿伎良(ふじわら−あきら)という人が、
島田幸安の神界物語をダイジェストでまとめたものといいます。

ちょっと読んだだけでもわかりますが、
仏教を攻撃しているんですね。

で、こういうのって、どうなんだろうかと思うわけなんです。
神道を信奉する側が、神道を優位にしたい意図が
見え見えなんですね。


確かに、仏教に限らず「観念」「思想」に偏りすぎると不幸になります。
で、その不幸な状態を「餓鬼」とか「地獄」とか言うのはわかります。
一つの表現としてはアリかもしれません。

しかしこれは仏教に限らず、いかなる「観念」「思想」であっても、
取り憑かれてしまうと、ハマってしまうと、
餓鬼やら地獄みたく苦しくなってしまうんですね。

で、これをもっとスマートな言い方をすれば
「乖離(かいり)」という言い方ができるんですね。
ええ。
乖離(かいり)なんです。

乖離とは、まさに「本当の自分」や「命」から見事に外れて、
妄想の世界に耽溺している状態なんですね。


で、苦しいんですよ。
まさに「苦の世界」になるんです。

しかし乖離していることに気づいて、ここから脱却できれば、
もう解決するんですね。
ただ、自分が乖離していることに、なかなか気づきにくい。
ここが難点。


が、乖離していることを餓鬼だとか地獄だとか名付けるのは、
一つの表現であったとしても、さすがに、どうなんだろうかと思います。
恐怖や脅しのレベルが強烈ですからね。


ちなみに、仏教のこうした「恐ろしくも重たい言葉」は、中国のせいなんです^^;
中国で、こういう言葉に翻訳したからなんです^^;
ええ。

やっぱり中国人なんですね^^;
言葉のセンスが悪い(笑)
ドギツイ。

占いの世界も同じ。
まったくもって中国人は(笑)
いえいえ差別的な意図はありませんからね。


で、餓鬼だの地獄というのは、言葉ばっかりが強烈で、
時代錯誤もはなはだしいわけです。

いたずらに恐怖や不安を煽ってしまいます。
かえって、苦しみを増してしまいます。

よろしくない^^;
と思います。


ちなみに、乖離していると苦しくて、物事が色あせて見えるようになります。
なので、いかなるものを見ても聞いても苦に感じられます。

だから乖離している人には、
宗教やスピリチュアルは毒になってしまうんですね。
ええ。

わかります、これ?^^;
笑いに笑えない状態が起きるんです。

人を救い、心を晴れ晴れさせる宗教や善い教え、思想も、
乖離している人には、苦しみやネガティブを助長する代物になってしまうわけです。



中でも仏教は、その教えに「無常」とか「苦」とか「解脱」なんていう
通常の知性は理解できない超次元的な教えがあります。

で、乖離している人が、仏教のこうした教えに触れると、
もうネガティブ色を強め、虚無も酷くなり、
しかもバリバリ陰気になってしまい、
乖離を悪化させてしまうわけですね。

しかも仏教では「悟った」という人であっても、
経典に沿った文脈で語ったり、同じ言葉を使います。
なので、乖離している人は、ますます虚無やらネガティブを強め、
もう真っ黒クロスケになってしまいます。

もう世間が色あせ、生きていくのが嫌になって、
出家とかを考え出します。

ま、仏教を本格的に勉強すると、大抵、こういう考えになります。
が、途中で「おかしい!」と本能が起動して、
そのおかしさを追求して答えを見つけるわけです。


しかし、これが「おかしい」と気づかない人もいて、
そういう方は、ズブズブと不幸な精神状態にハマっていきます。

これがこじれてしまうと、さあ大変。
虚無が深くなり、超陰気パワー炸裂になります。
エライこっちゃになるわけです。
まさに餓鬼や地獄といった状態なんですね。

で、亡くなったら、観念地獄に墜ちて、真っ暗な状態になります。
このことを江戸時代末期の「あの世」文献では、
総じて同じことを述べているんですね。
何故か。
何故か一致して、「仏教徒は魔界に墜ちている」と言っています。
これは仏教が「観念宗教」だからでしょう。
天然自然の理、感覚から外れて、観念主体となってしまっているからです。
あと中世の頃の悪業非道がたたって
「あの世」で苦しんでいるからだと思いますね。

乖離からは脱却しないといかんわけなんです。
なんとしてでも。
また乖離している方は、乖離していることに気づく必要があります。

実際は「乖離」だけじゃありません。
陰気、低くなった波動、有り様。
ありとあらゆる点から矯正が必要になります。



そんなのがありますが、江戸時代の文献には、
神道側を優位に立たせて、
仏教をいたずらに攻撃する文章が散見されます。

「なんなんなの、これ?」ってだんだん思えてきますね。
なーんか、こういう不安やら恐怖を煽るものって、
あんまりいい感じしません。

で、まあ、江戸時代の「あの世」情報も、
ここのところ結構見ましたが、やっぱり、どうかなあ、
といった感じですね^^;

どこか苦しい^^;
狭い。
封建的。
攻撃的。


もっと開けて、パーっと明るい感じのいわゆる「天界」がいいですね。
宇宙人やUFOとか。
そういう明るい次元です。
やさしく、やわらかい世界。
天上界的なのがいい。

で、こっちの次元にチューニングしたほうがいい。
そんな感じもしてきます。

なので、江戸時代の話しは、この辺りで終わりにしようかと思います^^;
気が乗ったら、島田幸安の書にある情報でも書こうかなと思いますが、
それでも今の時代の新造アストラル界の上層がいいと思いますね。

古くて、封建的なのは、なんてゆーか^^;
もっとワクワクで、のびのびで、自由な感じがいいと思います。

ロバート・モンローのようなさらりとした感じがいいですね。
古い時代の文献は、精神的に低い。
よろしくない。


と、今宵は熱くなりましたなあ。
結局、不安や脅し、攻撃的なものは、いかなるものであっても
よろしくないということですね。

江戸時代の「あの世」文献も、そろそろ終わりですね。