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ヘルヴィムの歌(チャイコフスキー)〜ロシア国立シンフォニー・カペラ

Tchaikovsky - Hymn of the Cherubim - USSR Ministry Of Culture Chamber Choir


ロシア正教会とおぼしき聖歌ですかね。
この手のものは時々、聞きたくなります。

チャイコフスキーの「ヘルヴィムの歌」であるとか。
歌っているのは、ロシア国立シンフォニー・カペラとか。
ちょっとよくわかりませんが。


しかし、美しいですね。
ただ、緊張や怒り、哀しみの反転としての美しさですね。

この手の教会音楽は、怒りや哀しみにとらわれたときに聞くとスッキリしますが、
それは、そういう理由だからです。

また、聖なる響きに聞こえながらも、怖さを感じさせます。
それも、緊張や怒り、哀しみが根っこにあるからです。


宗教は、怒り、哀しみの反転で、きよらかさや美しさを出しているところがあります。
ええ、意外と怒りや哀しみを強く持った人が集まりやすい。
ある意味、そうした人達を救済する装置であり機関です。

負のエネルギーを昇華した形態ですので、
一応は無難であり健全にではありますが、
根っこが怒りや哀しみです。

なので、怒りや哀しみ特有のしきたりや、儀式が多いわけですね。
細かい取り決め、失敗したときに祈りを捧げるとかありますが、
これらは怒りや哀しみの性質の表れです。


なので、これが問題を引き起こすことが、結構あります。

バチカンをはじめ聖職者集団の裏には、
屈折した性的な問題が生じていることがあります。

宗教の美しさは、抑圧の反転や反動の場合もありますからね。
だから、まあ、なんて言いますか。


なので、諸手を挙げて、宗教を美化することは、必ずしも正しいとは限らない。
むしろ、ごく普通に生活をしている人のほうが、
本当の意味できよらかだったりします。

ただ、宗教に関わっている人でも、こうしたことを喝破していて、
飄々としている人もいます。

何がニセモノで、何がホンモノか。
これを見抜くには、表面だけを見ていては、まずわからないでしょうね。